日本医療国際化機構について
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理事長メッセージ


蒋 暁松

ショウ ギョウショウ

Jiang Xiaosong

人間生まれてきたからには何かをやり遂げなければならないと思って生きてきました。そして、そのうちの2つか3つを成し遂げれば、大成功と言えるでしょう。そういう意味で、私は大変な幸運児です。

私が1980年に初めて日本にやってきてから、今年2020年でちょうど40年になります。世界のいろいろな所で学び、仕事をしましたが、私の主軸はやはり日本と中国の関係にあります。

さまざまな時代に、日中関係には、尊敬してやまない先人の皆様の功績による多くの出来事がありました。私は、この世に生を受け、私の気力・能力・知力により両国のさまざまな交流を促進させるために、どのような役割を果たして行けば良いのか、模索し続けてきました。そして、それは前向きの推進力にならなくてはならず、また、両国それぞれにプラスに働くものでなければならないと強く思ってきました。

数十年の人生で、私は何が大海原で、何が小川なのか、はたまた、何が怒涛の大波で、何が水面のさざ波なのか、理解することができるようになり、また、さまざまな出来事を通じて困難や喜びを味わい、その中で、期せずして、日中関係の更なる発展に尽力することが、私の終生の活動となりました。これは宿命であり、使命でもあるのでしょう。広い空の下、日中関係の「一衣帯水」の中でひたすら小さなオタマジャクシが動き回っているかのようです。

私は海南島の博鰲(ボアオ)に人生を捧げてきました。私が博鰲と邂逅した時、遥か遠くの地平線にいくつかの雲を見たような感覚でした。その雲の一つ一つは、博鰲の山々であり、砂丘であり、また、河や湖でした。それは1992年の出来事です。

それから約30年が経ち、人も疎らで外の世界とつながっていなかった博鰲は、今や国際会議を中心としたリゾート地に発展を遂げました。子子孫孫何世代もの人々がここに暮らし、労働に勤しみ、そして、毎日新しい朝陽を迎えています。

博鰲・アジア・フォーラムは来年で20周年を迎えます。「子供」から「大人」に成長しました。その姿に私は思わず、「さすがに美しいね」と声をかけてあげたくなります。

「博鰲楽城国際医療旅游先行区」という構想は私が2009年4月に提唱したものですが、2013年に中国国務院より承認を受け、今なお、国務院から認めてもらった中国内で唯一の、政策を先行的に実施できる「医療特区」です。10年が経過し、それが緑豊かな森林となるのか、それともただ一本の巨木となるのか、私には予測はできませんが、間違い無く言えることは、たくましく成長するであろうということです。

美しく彩られた雲の博鰲には、次々と神話が生まれています。そこは天地創造の主の寛容を受け、中国のみならずアジア地域に笑顔で迎えられ、時代や海南という時空に亘る収穫をもたらしています。一つまた一つと夢をのせ、変化を続ける中で、博鰲という雲の流れに身を委ねていると、ふと気が付けば「夢が現実」となり、また、そこから更なる前進を続けています。

日本語の「発想」という言葉は中国語にはありませんが、私はこの「発想」の化学反応により、博鰲という元素を日中関係と組み合わせ、「医療大健康」という三次元のプラットフォームにしていきたいと思います。中国には巨大な医療大健康市場の需要があり、日本にはアジアトップレベルのサービスシステムと医療資源があります。博鰲というクラウド上にあるプラットフォームを通じて、同じ黄色人種である両国の特性を生かしながら、市場と資源を最適な比率で調合し、さらに「発想」という二次発酵により、それをアジア関連諸国や地域にも広げていきたいと思います。

人類に幸福を、地球に元気を。

これが今まで私が行ってきた、そして行なっている事業であり、理事長を引き受けた私の志でもあります。終わりはありません。さらなる努力があるのみです。

職歴

現職   ボアオ・アジア・フォーラム終身名誉会員

元職   ボアオ・アジア・フォーラム初代理事会副理事長

新日中友好21世紀委員会(前期)中国側委員・中国側秘書長

中国人民政治協商会議  第10期    全国委員、外事委員会委員(2003-2008)

                          第11期       全国委員、外事委員会委員(2008-2013)

                          第12期       全国委員、外事委員会委員(2013-2018)

略歴

1951年11月 上海にて生まれる。父は映画監督の蒋君超、母は大変著名な女優、白楊

1968年-1976年 文化大革命で下放

1978年-1980年 上海交通大学に勤務

1980年-1983年 日本のテレビ各局での研修(映像記録センター牛山純一氏に師事)

1982-1986年 日中テレビ祭(年1回開催)企画、運営

1983年-1986年 創作活動

1986年-1989年 カリフォルニア州立大学Northridge映画学部客員教授

1989年 暁奥会社創業

1992年 博鰲を初めて訪れる

2001年4月-2009年3月 ボアオ・アジア・フォーラム理事会副理事長

2003年12月-2008年12月 新日中友好21世紀委員会中国側委員・中国側秘書長

2003年3月-2018年3月 中国人民政治協商会議全国委員会委員、外事委員会委員

2005年 千博集団創業

     博鰲禅寺建立

2005年9月-2007年10月 中華年2007 in Japan及び第9回世界華商大会 組織委員会理事兼実行委員長

2018年3月- ボアオ・アジア・フォーラム終身名誉会員

2020年4月「旭日中綬章」受章

主な作品

  • 「流水経過這里(流水はここを通る)」 文学隔月刊『収穫』1980年5月号に掲載された映画文学脚本
  • 『木の小屋』1985年ニューヨーク国際映画祭で監督賞を受賞
  • 『故宮』と『大中国』等のNHKスペシャル番組の企画とコーディネーター
  • 『今年はここに』 国際平和年(1986年)を記念し日中共同で制作された作品
  • 『チベット』TBSで放送、監督を務める
  • 天安門事件後初の人民解放軍取材 1989年9月放送されたTBS報道特集
  • 『山田洋次』(翻訳)